2013/06/15

「tool -私の仕事場の道具たち」 おわり


 
 

台紙に貼る予定の見本布
 
 〔tool-私の仕事場の道具たち] の終わりに
以前より自分が使ってきた道具を残しておこうと思った。その道具とは織物で使う組織図なのである。別に新しい組織ではない。先人の伝えてきた組織だ。ただ自分がよく使ってきた組織を選んだ。
 この blog のために作ったものではなく、以前から考え構成していたものだ。自家本で、見本布をつけてみた。全て手作り(不思議な単語)で完成させる予定だ。部数30部B5判、お世話になった方に差し上げようと思っている。
 その一端をここに載せてみた。興味のある方は覗いてみてください、これをどうして作ろうと思ったかはそこにあります。

手織物の織物組織図ノート (PDF 閲覧には Adobe Reader をお使い下さい)

        表   紙
        手織物の織物組織図ノート
        目   次
        凡   例
        平   織
       


 印刷の用紙も気に入ったものが見つかりそう、製本用の背の布も用意できた。ゆっくりだけれども完成はほぼまじか、自分でも出来上がりを楽しみにしている。 
 ・・・今日現在(2014/2/18)まだ完成に至っていない。
   It is a time a little more.・・・?
 

 最後の締めくくりは、この blog 三回目登場の辻まことの言だ。
「…… 歴史という文明の経験の中に生きる教訓を探すのは現代の流行であるが、そこに記載されているのは、いかなる強力な帝国も、富んだ国家組織も、かならず転覆し崩壊する事実である。文明は壮麗であろうがなかろうが、滅亡する。しかし人類は、どんな社会組織にしばられても、けっして全面的には崩れない。人は人として自ら復元する力をもっている。それは文化的な動物だからではない。未開な自然を内部に精霊としてもっているからだと、小さな丘の上で私は思った。」 とある。 (「岳人」1975年11月号掲載)
 

 さてヒトは、人は今でも自ら復元する力を持続しているだろうか、文化的な動物だからではないだろうか。そうであってほしいのだが、考えさせられる。未開な自然を内部に精霊として持っていると思いたい。そして人類は、どんな社会組織に縛られようが、はたして決して全面的には崩れないだろうか。

 すでにヒトは、ある方向へ定まった一つの道に舵を取っている、科学的という重い荷を背負い歩み始めている。この狭くなった地球上で、この道に踏み込まずに歩めるヒトはいるのだろうか。ヒトはすでに道具なしでは、どうにもならないところへ来ているのでは、原発もその一つだろう。大きな見方をすると、ヒトは決してこの流れを止める方向に働くことはないだろう、という。これは政治的とか経済的とか思想的とかいうことではなく、ヒトとはそのような生き物なのだそうだ。戦いが決してなくならないように。類人猿などはどうなんだろう。山極氏(山極寿一)に聞いてみたい。 しかし、ここは人としての英知の見せ所だ。

   ヒト-学名Homo sapiens   人間の生物学上の標準和名


    


  
〔おりもの修行中/ランラン日記〕
いろいろな道具にささえられている染織の仕事それ自身がひとつのツールとい
えるかもと思うことがある。人や物や自然との出会いのきっかけとなり世界をひろ
げてくれる。いつもワクワクしながら染織の仕事を続けていけたらいいなとおもう。








                      
               
 

2013/06/10

「まだいた仲間たち」


 ちょっと気になる 「まだいた道具仲間たち」 の紹介だ。さりげない道具だ、その辺にあるのだが普段気にならない。なくては不便、あってほしい道具だ。

 

はかり、何気なくあるのだが結構に使っている。もちろんはかり本来
の仕事だ。何につけても仕事にかかわる重さを量っているのである。


これは左側は大豆をふやかした物、呉汁にする。右側は乳
鉢に入った削墨。乳鉢で丁寧に磨り潰した墨を、呉汁に混
ぜ合わせ、半日ほど放置して、その上澄みで墨染をする。


煮出した染料を漉すザル・フルイ・ヒシャク等


染色に使う・・・?


染糸を繰る棒、初めは鉄製のものだったが、
からかステンレスに変わる。とても使いやすい。


フノリ、絹糸に糊付けするのに用いる。糸の糊付けも素材によっ
糊付けの糊材も変わってくる。それぞれに合った糊を用いる。


たたき棒、糊をした糸を伸ばしさばきながら、糸を乾かしてく。
れを上手にしておかないと、次の工程の糸繰りがうまく行かない。
 


絣をほどく時に使う支柱


このように使われる


伸子と伸子針。織りあがった布の糊抜きの時に使う。布染屋さん
では色おきにも使われる。使う用途によいろいろな伸子がある。


砧(きぬた)と石台


糊抜きをした布を厚手のキレで包み、まんべんなく丹念にたたいてく。布を柔かくし、つやを出してゆく。やりすぎると腰がなくなる。西リカの地域で藍に染めた木綿の砧打ちの仕事は大変なものである。暑薄暗い室内で屈強な男が丸太のような槌を両方の手に持ち木綿の布表面がピピカになるまで打ち続ける、その体力たるや相当のものである。


藍の仕込みが始まっている甕


糸をカセに揚げたりするときに使う道具。「ウマ」と
んでいる何かにつけ補助をしてくれる便利なもの。




 まだ登場しない道具もあるのだろうが、まあこんなところで 「tool‐私の仕事場の道具たち」 は終了です。仕事場は沢山の道具たちに支えられている。 この仕事場も、これから道具がまだ増えるかもしれないし、反対に減ってゆくのかもしれない。道具が沢山あれば、よい仕事ができるという保証はなにもない。しかし、道具が仕事の後押しをしてくれることはあるのかもしれない。   いったい人間は、どこまで道具と付き合うべきか、何もこれは仕事上のことばかりではない。ヒトと道具との付き合いだ。道具が沢山あれば、人が幸せになれるという保証はないが、幸せにしてくれる事もあるかもしれない。 これは本当に使う者は千差万別だ。ただ人は他の生物と違いほんのささいなことでも道具なくしては、すでに生きることはできなくなっているのではなかろうか。

 
  さて次回は道具の最終回
 


〔おりもの修行中/ランラン日記〕 
たまに道具そのものの存在感にハッとおもうことがる。
つくった人やつかう人の大事にしているこころ映され
ような。有名とか高価だからでなく自つか
気に入ったものがイキイキとしたをみせる
な付合いをかさねていけたらいいだろうなとおもう。















 


2013/06/05

「織り機」



 そろそろ「仕事場の道具たち」も終章に向かう時がきた。道具が尽きてきたので後2回ほどで終わりにしようと思っている。
 
 今回は機織機の話です。
機も基本的な要素は、どの様な機でも何も変わりない。その所々で織られるものが、織り易いように機も出来ている。素材でも絹・木綿・麻等、そして撚りのきつい織物・無撚りのもの、先練(糸を)りをして織るもの・後練りの布等を作る場合と、細かく言えば限がない。そのように、織る布に合わせて機を自由に直して使う、これも一興なのである。
 
 
高機と呼ばれるもの。このあたりの機が見本。
材はヒノキ、これは建具屋さんが作った。

上の写真の機をややアップで撮ったところ。筬柄にはバッタンを使って
いる。糸物を織るのには、緯糸の打ち込みが安定する。いわゆる打ち
込みむらが少ない。経糸が伸びきったままに成らぬ仕掛けはしてある。

織り前のバッタン、伸子がはずしてある(写真のため)。

これも高機、8枚のソウコウを仕掛けてある。柄はバッタン。

バッタンの杼箱

高機、けん先の部分。

バッタンの大小。広いものは75センチ幅ある。

高機、手越しの筬柄。緯糸が紬糸のときには、手越しの筬柄を使
う。緯糸の打ち込みが入りやすい、緯糸の引きが柔らか等のため。

手超しの筬柄部分
今からすると昔使われた筬柄、まだ使っておられる人もいるかな。


広幅織り機、厚手の布の長い物を織るときには
巻取りちきりの位置(構造)に一考があるが…。

広幅用筬柄


 
 
 
…と、この仕事場に ある機を見てもらった。古い昔の機は、ここの織物の布作りには適していない。昔、奄美の機が値段が手ごろだった事もあったのだが何台も入れてみた。材も作りも良かったのだが、やはり奄美の絣を織るのには適していたのだが、ここでは使いきれなかった。
 そのように自分の織物にあった機が一番なのだろう。 コンパクトで使いやすい機は伊勢崎の古澤さんの機は素敵だ。写真にはないが一台使っている。 以上の事は、あくまで我が仕事場の見解である。 
 



 
 
〔おりもの修行中/ランラン日記〕
いままでは少し窮屈でもあたえられた織機に自分の体を合わせることが使
こなすこととおもっていた。本格的な仕事場で学び始めて、織る布に合わ
せて大工道具によって織機が変化していくのをみた。これからは、最適の
状態を見きわめて整えられる力をすこしづつ身につけていきたいとおもう。